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アジャイルとか「◯◯開発手法」と落語「時そば」

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記者の眼 - 「アジャイル嫌い」はもうやめよう:ITpro

の記事を受けて

アジャイルを無責任に広めるのはもうやめよう | フロントライン通信

の記事がかかれたことについて。

こういう◯◯開発手法というのは、落語「時そば」と同じものを感じるのである。

時そば - Wikipediaから引用する。

ある冬の深夜0時頃、小腹が空いた男Aが通りすがりの屋台の二八そば屋を呼び止める。Aは主人と気さくに「おうッ、何ができる? 花巻にしっぽく? しっぽくひとつこしらいてくんねえ。寒いなァ」とちくわ入りのかけそばを注文する。その後は、看板を褒めたり「いや、実に良い箸だよ。素晴らしい」と割り箸をほめる。更にそばを食べながら器、汁、麺、具のちくわなどを幇間(たいこもち)よろしく、ひたすらほめてほめてほめ上げる。 食べ終わったAは、16文の料金を支払う。ここで、「おい、親父。生憎と、細けえ銭っきゃ持ってねえんだ。落としちゃいけねえ、手え出してくれ」と言って、主人の掌に1文を一枚一枚数えながら、テンポ良く乗せていく。「一(ひい)、二(ふう)、三(みい)、四(よう)、五(いつ)、六(むう)、七(なな)、八(やあ)」と数えたところで、「今何時(なんどき)でい!」と時刻を尋ねる。主人が「へい、九(ここの)つでい」と応えると間髪入れずに「十(とう)、十一、十二、十三、十四、十五、十六、御馳走様」と続けて16文を数え上げ、すぐさま店を去る。つまり、代金の1文をごまかしたのである。 この一部始終を陰で見ていた男Bは、Aの言動を振り返り、Aが勘定をごまかした事に気付く。その手口にえらく感心し、真似したくなったBは、自分も同じことを翌日に試みる事にする。そばを食べる事が目的ではなく、1文をごまかすためだけにわざわざそばを食べる。 待ちきれずに早めに繰り出したBは、Aの真似をするがことごとくうまくいかない。箸は誰かが使ったもの、器は欠け、汁は辛過ぎ、そばは伸び切り、ちくわは紛い物の麩。とうとうそばをあきらめ、件の勘定に取り掛かる。「一、二、……八、今何時でい」主人が「へい、四つでい」と答える。「五、六……」。まずいそばを食わされた上に勘定を余計に取られるというオチ。 当時の時法では深夜の「暁9つ(午前0時頃)」の前が「夜4つ(午後10時頃)」だったことにより、この話が成立している。

つまるところ

「おお、あの手法はいいな」と考えて「よし、パクろう」とするが、 いろいろと前提条件を間違えて 失敗しまくるあげくに、オチまでつくぐらい損する。

というところが同じだなと。

いまこそ「導入しようとしたが、導入できなかった。それはなぜか」「導入したが、成功しなかった。それはなぜか」という情報を共有する必要があるのではないか?その情報があれば暗中模索するしかない状態でも、少しは明かりがあるのではないか。

そもそも、全プロジェクト、全会社、に適用できる手法なんてこの世に存在しないのは当たり前であるが、それでも概念を提示し、世の中に出したことはとてつもなく偉大である。

だからこそ、何事もプロジェクトが成功した事例のみ共有されるのではなく、その裏面である、失敗した事例を共有していくフェーズにきているのではないだろうか?

(「プロジェクトは普通成功しない」と思ってる人と「普通にやったら成功する」と思っている人の違いはでかいが、どちらにしろ結果が反対だったとき、ネタができるはず。)

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