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『「他人のために頑張る人」がコミュニティにとって害悪である』と言われて気分悪くなって少し考える

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元ネタはコレ。

コミュニティが大きくなると必ず現れる「みんなのために何かしてあげようとしてくるやつ」 | RYUKEN OFFICIAL BLOG

言いたいことはよくわかるようで、よくわからないようで、それが単に俺が納得したくないだけなのか…といろいろあるが、とりま、思ったことを箇条書きにする。

  • いるわーこういう「仕事しろよ」っていいたくなるようなヤツ。
    • そもそもやりたいことをやりたいようにやりたいけど「〜に所属してる」とか「給与はでる」とかそういう権益は捨てられないんだよな
  • 害悪とは何か
    • コミュニティが本来の目標を達成しえない、目的を見失うということか
    • 誰でもウェルカムなコミュニティがそんな「目標を達成したり」「目的を見失わずにすむ」なんてことはあるのか
      • 絞ったら雰囲気悪くなる、人が集まらなくなる、、、わかるが、それはコミュニティを形成しないべきではないのか
        • ブラック企業が存続できてしまう理由とにてる気がする
  • そもそも成長とは何か
    • そもそもやはり人生観としてのゴール(= 成長)が違う人間がただ他人をディスってるだけじゃないのかこれは
  • 家族のためにがんばる、は他人のためか自分のためか
    • 家族のために奴隷状態になるということが社会制度として求められているのではないか
    • 嫁や子供のためにがんばるというのが害悪なのか
      • じゃあやっぱり家族は自分なのか
        • ファミリーが自分ならば、自分が所属しているコミュニティ、会社、地方は自分じゃないのか
          • その分岐点は何か
            • 気分か?
  • 多くを望まない人は成長しないというのか?
  • 18年勤めた会社を辞めた我が弟の人生観を再考
    • 「よい子」「いいやつ」をどう使うか、使われるか
    • 便利な子の寿命
  • サーバント型リーダー論
  • 費用対効果のいい「ありがとう」を集め続けて物事は成し遂げられるか
  • 「目の前のありがとう」なんて気にしない人を受け入れられるか
  • 物事の優先順位が付けられない人
  • 物事の優先順位の決定権は誰にあるのか
    • それが自分じゃない人
    • それが自分にあって
      • 成功してる人
        • 成功とは何か
      • 失敗している人
        • 失敗とは何か
  • 多くを望まない人と多くを望む人がコスト勝負したらどうなるのか
  • 多くを望まなければコスト勝負で勝てるハズ
    • 勝つ…というのは、普通「利益率の高い仕事が得られる」ではないか
    • それが「明日食べる食事を稼げれば、嫁も子供も車も家もいらぬ」という人間にとっては勝つ…とは明日の稼ぎを得られるということじゃないか。

まー、軽く書き出しただけでもこれぐらいあって、とてもこの「気分悪い感じ」を整理できぬ。ここでディスられてる人間に自分を投影しているからだと考える。

これを受け止め、以下のように解釈する。

「自分の目的は何か」ということが定まらずに組織に参加すると「我慢すること」「使われること」が仕事、唯一貢献できることになってしまい、結局どこでも辛くなってしまうから注意せよ。

(のあとに「そういうやつは相手にするな」と書いてあるのがトゲあるだけだよな。きっと、たぶん、おそらく、maybe。)

だいたいウツになったり、突然やる気でなくなったり、出社しなくなったり、って子は「こういうところあるよね」ってほんと思うわ。そういう人間もケアできるのが強い組織なんだろうけど、その組織に寄生するヤツとかほんといるよね。まー余裕( = キャッシュ)がなくなったらあっという間に弱い組織になってしまうのがツライ。

特に、こういった超真面目奉仕型人間ほど寄生しているのが許せなくなって、会社を辞めちゃったりするんだよな。潔癖なんだよ。

  • 「他人の寄生がゆるせないパターン」
  • 「俺が寄生してると思っちゃって脱出するパターン」
  • 「ある日突然俺はイイように使われてるだけじゃないかと気づいちゃったパターン」
  • 「奉仕ゲージが限界突破で燃え尽きた」

とかね。ほんと見るわ。せっかく会社員やってるならとことん寄生しろよ、不況のときぐらい、って思うんだけどなかなかね。会社としてもこういう子のほうが解雇するの楽だろうしね。

まーほんと組織(コミュニティ)って難しいね。私は完全に諦めてフリーランスやってるが。そもそも「他人はどうにもならない」という前提で生きるならば、組織論なんて論じてはいけないんじゃないかと考えるし、それを乗り越えて組織、会社をやってる方々、そこに所属している方々に尊敬の念を抱かざるをえない。

この「会社組織は何かを成し遂げるために必要である」と思え、会社を信じられる人と「会社組織なんて経営者や株主が、いかに安く労働者を使って利益をあげるかしか考えてない組織である」と思え、会社を信じられない人、の違いってどこからくるんだろうね? 教育? 殆どの場合は最初に接した会社組織次第って読みがあるんだがどうだろうか?

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