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読み書き算盤とは違うものが必要『10代からの情報キャッチボール入門』

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ちなみに私は小学生のときに同級生の「宇宙人と会った」「人を殺して堤に沈めた」なんてのを心底信じるタイプだったし、「ノストラダムスの大予言」「うしろの百太郎」も完全に心底信じていたタイプである。

いろいろまわって一言で言えば「コミュ障」だったのである。

さて、それが1995年頃になって突如コミュ障バリバリのままインターネットに漕ぎ出すことになり、プレゼンの練習をさせられることになったりと、今考えても「アイタタタタ」となるような黒歴史を残しながらその歴史は続き、今に至っている。

さて、何を申したいかというと『読み書き算盤』は割と体系立てられて教えられているが「友人の言ってることの受け止め方」なんてのは教えられていない。そしてこの本の筆者は

  • 食事「よくかめ」「好き嫌いするな」など → 習う
  • 歩き方「飛び出すな」「左右を見よ」など → 習う
  • メディア「情報の受け方」「情報の発し方」→ 習わない

から始まり、ほとんどの人はテレビ・漫画・本・新聞、加えて今の御時世はSNSやウェブページなどに人生のほとんどの時間を割いているのにこれとの付き合い方は誰も指南してくれないよなあという問から始まる。

筆者はあの下村健一さんである。

下村さんといえば松本サリン事件で冤罪スクープ、その後まわりまわって、あの3.11時の民主党政権菅内閣の内閣広報室審議官を務められた方である。その下村さんが10代向けに本を書く? これは年齢がダブルスコアしてるけど読むしかあるまい。第三章ではあの震災時の反省にも触れられているし、第四章では民主主義、政治にまで話が及ぶ。

私は95年(高校2年時あたり)からインターネットの世界に漕ぎ出した。その後大学に入学したが、工業大学ということもあって、とにかく「論文を書くために」だっただろうがこの「どのように研究成果を受取、発信するか」というのをかなり興味深く学ばせてもらった。そしてアルバイト体験などを経てたどり着いたひとつの結論が「相当な高等教育を受けないと情報発信することはできない」であった。

それが2000年すぎには2ちゃんねるなどが現れ、「ウソをウソと〜」の名言もでた。そして現在では「PVが金になる」「承認要求を満たせる」「パクツイ」「フィッシングページ」…などなどで、とにかく犯罪者から無邪気な幼児まで「おもしろいは正義・金」とばかりにめちゃくちゃ情報発信する時代がきた。

「バカどもに車を与えるな!」と海原先生は常に真理をおっしゃっているが、まさにこの「バカどにツールを与えた状態」になったわけである。そりゃメディアとの付き合い方というのは難易度が上がっていく一方である。小学生時代の私だったら2フレでウソ情報に釣り上げられ、即犯罪に巻き込まれてムシャムシャ食べられてしまう。

TwitterやFacebookを見ても嘆かわしいことこの上ない情報が錯乱している。まーこれはこの混沌を楽しむものなんだろうが、さすがに身内が巻き込まれていってるのを見ると心が痛む。

これはどうしたらいいんだろうかと考えれば考えるほど、私が大学時に受けた「世の中に発信するのに必要な高等教育(またはそれ相当)」を義務教育以下で教えねばならないのではないだろうか? しつけの問題では済まされない。

そのヒントが詰まった本である。語りかけ口調な文体が少し気になるが、下村さんの体験などに基づいた話が多く盛り込まれていてとても腑に落ちる。

「おもしろければ何をやってもいいんだ」的なバカはどうしてもでてくる(そして私はそれを愛することもある)が、基本的な教育をちゃんとしているのとしていないのとは全然違う。「読み書き算盤」に加えて、「その書き込みがどうしてダメなのか」「この話がどうして信用できないのか」をまともに説明できるようになる。オススメ。

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