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どうして年号を覚えねばならないのかなんとなくわかってきた気がする

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長らく私の本棚を飾り続けていた楽天の三木谷浩史さんとその父親三木谷良一さんの対談本をやっと読み進めている。

第1章からケインズなど経済学の話がバンバンでてきており、なかなか手を伸ばさずにいた。最近はちょっとそういった経済学の歴史・流れ的なものを読み始めたこともあって、読み進めることができるようになってきた。

しかし移民や消費税の話題にうつってくると、意見の違いというより結果がでてしまっている議論をしてしまってないか? という気持ちになってきた。特に「メディアにおいてアベノミクス批判は許されない」の旨書かれていることが決定的だった。

発行年を見ると2013年9月に発行された本であった。

消費税が5%から8%へとあがったのは2014年4月1日で、その結果のショックは今となっては結果がわかってしまっていることだ。

移民に関しても自称イスラム国ISILが跋扈し、欧州その他が難民・移民問題で世界が大揺れになって議論も大揺れになっているのが現在だ。ISIL独立宣言は2014年だし、ブレグジット国民投票は2016年だ。

そう考えると、何もかも「〜年何月の時点では」という注意書きが必要ということがわかる。ビフォアxxxではこういう議論もあったという記録は大事だが、大事すぎて、読み手側はこれはビフォアxxxであるということがわかっていることが求められてしまう。

そういうわけで歴史の授業で年号の丸暗記なんてなんの役にも立たないやろ? とマジメに考えていたのだが、古典や古い議論にあたるときには世界の出来事の年号を覚えておかないとヘンな読み方・議論をしてしまうなとやっと気づいてきた。

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