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言論は虚しいか

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西部邁先生が平成30年1月21日に自決なされた。

西部邁 - Wikipedia

平成8年(1996年)に『正義の見方』という本が刊行された。私がそれを読んだときから敬愛いたしている宮崎哲弥先生の処女作なのだが、これの帯が西部先生だった。

これはいまでもAmazonの書影で確認できる。

西部先生が朝まで生テレビ!で投げかける話題は工業高校在籍時の社会科担当の先生の影響もあって、とても興味深く、「考えるとは何か」を真面目に考える良いキッカケになった。

私の人生に大きく影響を与えた「師」のおひとりであることは間違いないのだが、その師が生前に収録された番組で「言論は虚しい」と語っておられた。

いや、これは「個人の力なんて微々たるものである」という謙虚さを表現されてらっしゃってるのではと思いたいが、自決されたとなると「私の役目は終えた」とお考えてのことなのかあと考えてしまう。

「言論は虚しい」と言いたくなる、そうしておきたくなるお気持ちは察することができる。

古代の言論といえば宗教の教えや哲学になるであろうが(これをいっしょくたにしてしまうのは乱暴か)、仏教典や論語を読むと「なんだ、いまから余裕で2000年以上前に真理にたどり着いているではないか」と思えることがある。

しかし、人類は苦しみから逃れられない。釈迦尊や孔子は現代の世をみて「虚しい」と間違いなくおっしゃるのではないだろうか。

(以下はボツ原稿)

私は平成9年(1997年)に大学生となり、その後リーマンになって毎週埼玉北部から秋葉原に高崎線で読書しながら通う日々を迎える。そのあたりで私の言論の中心になったのは以下のような事件だ。なんといっても「一番コスパいいのは月刊文藝春秋」だったのでそれを中心にバリバリといろいろ読んだ。

  • 1995年 阪神大震災、地下鉄サリン事件
  • 1996年 新しい歴史教科書を作る会
  • 1997年 ペルー事件
  • 1998年 後のノーベル平和賞受賞者金大中韓国大統領就任、テポドン
  • 1999年 能登半島沖不審船事件
  • 2000年 陳水扁台湾総統就任
  • 2001年 ブッシュ大統領誕生といわゆる9.11テロ、第一次小泉内閣、2ch閉鎖騒動
  • 2002年 国後島のムネオハウス疑惑
  • 2002年 日韓ワールドカップ
  • 2003年 イラク戦争

こういった議論で私が追いかけていくもの中心の1つは間違いなく西部先生らであった。

西部先生が選んだ道を持って私は悲しむべきなのかはわからないが、謹んで哀悼の意を表します。

時代がぐるぐるまわって今は愛国・反韓・反中が流行って流行りに乗っかるのが得意な詐欺師みたいな連中が跋扈しているようだが、90年代にそんなもんが儲かる素振りなんてミリもなかった。

言論や哲学、思想が動いたのだろうか? いや違う、時代が動いたのだ。もっと厳しく言うと、単に流行りが変わっただけなんじゃないのか。

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