本棚を片付けていたら、シオリが挟まれたままの本がでてきた。
まぁ新書に部類されるものなので、さっと読了した。さすがにコンピュータ周りのネタが古い(2007年出版)感じだ。
それでも段取り技術というのは「芯」があり、普遍的な技術というのはこの本で学べる。・・・まぁ私は段取りとか上手なほうじゃないけれど。
プレゼンや企画書の書き方について、双方とも「斜め読みに備えよ」とある。うーん。まぁ文章の性格上そういうこともあるかあ。「政治家はどこを切り取られても大丈夫な演説をせよ」とか言うアレと同じかー。全部見ないとよくわからない文章はウケが悪いから企画書はpptで持って来いとか言われるんだろうなあーと。そういえば日経さんの本も「資料の作り方」にそういうようなこと延々かいてあったなぁ。「文字をでかくしろ、色をつけろ」とか。
そもそもの話「ピンとこない資料がでてきたとき誰のせいと考えるか」というのをいつも考える。私が提出を求めた時、そうなったら
- 書式を指定しそこねた = 私のせい
- 質問が悪かった = 私のせい
- 読解力が足りない = 私のせい
- 前提知識が足りない = 私のせい
と基本考えてしまうし、裏に返せば提出したのがピンとこないと言われた場合、「読みやすい書式、内容なんてのは人それぞれなんだから、提出を求める側にいろいろ決める義務がある」と常に思ってしまっている。なので状況によっては「お前のせいだろ!!」と憤慨してしまう。
「読まれないと負けなんだから、読まれる表現になるよう努める」というのは大事だと思う、、、が、小学生を相手にするような資料作りなんて時間の無駄になるのは目に見えてるので、こういうのは「お互い」とか「組織内」とかで背景をあわせ、書式、方式、ツールを決めていくのがいいんだろうなと考える。
例えば LT(方式) とか .ppt 、.key(書式・ツール) というのはそれだろうなと考えるし。とか言ってたら、次はその結果やっぱりピンとこないから ppt 禁止なんてのもこの数年きく話だし。いろいろ模索が必要なようだ。
つまり、「切り取り・斜め読みは考慮すべきだが、どのようにそれを行うのかは、双方歩みよって模索、確立していくべきだな」という話。と「資料が伝わらないときは憤慨せず、謙虚な気持ちになりたい」ということがいいたかった。
あ、あと、最後のほうにあった「依存関係相関図 + 進捗表」の管理方法はマジックで黒々と塗るのは気分いいだろうなーと感じた。こういうビジュアライザ。ほしいな。