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専門家の仕事を裁けるのか

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えーもう最終週かよ。何件かけば1日1ブログ達成できるんだ?

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~/gitwork/myblog
[pharaohkj]$ ls source/_posts/2016-09*|wc -l
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今日は9/26(月)、(31件-14件) / (31日-26日) = 17件 / 5日 = 3.4 件/日。つまり、1日4件もブログかかないとノルマが達成できない!

しょうがない。がんばって書こう。とりあえず、書こう書こうと思っていた「雑誌の記事の感想文を小出しにする」ことで稼ぐことにする。

WiLLの2016年1月号より。

『総力大特集 メディアに正義はあるか - マスコミが招く民主主義の機器』北村晴男弁護の記事だ。あの「行列のできる法律相談所」でいつも厳しい顔をしてらっしゃる私でも存じ上げている方だ。

「マスコミは権力か」

氏の司法試験政治学で出題された問いだそうだ。そして マックス・ヴェーバー - Wikipedia 氏の権力とは、という定義を引用し「権力である」と回答したそうだ。

マックス・ヴェーバー氏が定義した「権力とは」というのは 権力 - Wikipedia で読むことができる。

マックス・ヴェーバーは権力を社会関係の中で抵抗に逆らって自己の意志を強要する可能性として定義した。

2009年の政権交代時には、北村弁護士なりに「『一度やらせてみよう』なんて間違っている」と各所で抵抗はしたものの、その影響力には勝てず、そう感じた。とのこと。

そして、話は飛んで最後には、「マスコミは権力であることは間違いない。我々が厳しくチェックしなければならない」と結ばれている。おそらく「我々」というのは「視聴者」ぐらいがあてはまるのだろう。

チェックの結果をマスコミにフィードバックする方法は何があるのであろうか? クレーム? 見ない? その方法はよくわからない。スポンサーに電凸までしなければならないのであろうか。

BPO (放送倫理・番組向上機構 - Wikipedia) あたりがそれにあたるんだろうけれど、これの設立母体は結局「NHK・民放連」なのでピンとこない。

じゃあ結局やっぱり 放送法 - Wikipedia 、で総務大臣経由で免許停止するぞ! ってことになるが、これの第四条は有名な以下の内容である。実際にこの違反で免許停止になった場合、それは国民のチェックが働いたのかどうか? と言われるとピンとこない。

第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。 一  公安及び善良な風俗を害しないこと。 二  政治的に公平であること。 三  報道は事実をまげないですること。 四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

結局、今のように「何の権力もまだない」インターネットの世界で我々が草の根で話あっていくしかないのであろう。「テレビばかり見ているとバカになるぞ」と祖母を叱ることがあるが、「テレビ以外に情報源がない連中の割合」が減っていくであろうという希望的予想にすがることにする。

司法習得で「電車の運転」!?

本題はこちら。

なんと「電車の事故を担当した際に少しでも実態が分かっていれば役に立つだろうという検察庁の親心」で、一両編成の電車を一駅だけ「乗客なし」「隣に運転手・検察官・弁護士同乗」で運転できたとのこと。

素晴らしい。

しかしそうやって長年、実害なく行われてきたのに「修習生に電車を無免許運転させている」という新聞記事で検察庁がこれを中止してしまったとのこと。

そしてその後、「居眠り運転」や「オーバーラン」の理由などについて話が及びますが「実際にやってみたことあれば、問題点はどこかをちゃんと考えられる。しかし、マスコミはそういう経験もなしに、自前で作り上げた論を垂れ流している」的な内容に及びます。

専門家の仕事を裁けるのか

「法の専門家」が「原子力専門の連中の判断が適切であったか、法にふれていないかどうか」を裁けるのか。「ソフトウェア」はどうか、「コンテンツ」はどうか。そしていきつくところは「あのダム、◯◯◯◯億円らしいよ」これが無駄金が入っているのかどうか素人にわかるのか。

専門家の仕事には「説明できること」も含まれるというのはわかる。人間は限られた時間しかないので、それぞれ役割を分担して専門家から話をきくか作ったものを使うしかない。

だからといって彼らがミスを犯したとき、それを「別の専門家」が裁けるのであろうか。あの環境問題はなぜウソが〜の武田先生は「学会など自治が認められているところは自浄作用があることは前提である。」的なことをおっしゃっていたと記憶しているが、「司法」が「自浄を求める」などで済まされるわけがない。

これをマスコミが代わりを努められるのであろうか? 問題がおこるたびに立法してまさか「法の不遡及」を破って適用するわけにもいくまい。となると、やっぱり立法府に専門家委員会はいるのであろうか。

人類が科学技術などを進め、それぞれ個人個人の役割の専門性が高くなれば高くなるほど、自浄が求められる。 その自浄を我々一般国民も高い専門性に追いついて行ける「立法府」「行政府」「司法府」「マスコミ、ジャーナリスト」であるかどうかを監視できるリテラシなどがなければその一部が世の中をあやつるディストピアがまっているのであろうか。

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