偏っている。以上。
例えば「ここに飲料向け500mlペットボトルがあり、水が半分入っている」として、これだけでも以下の語句全てに「偏っている」をつけることができる。
- ペットボトルのメーカーが記載されていない!
- 他サイズのペットボトルをなぜ使わないのか!
- 水が半分もあるじゃないか!
- 水が半分しかないじゃないか!
- 水がいかに人を殺すか示されていない!
- 水がいかに人を救っているか示されていない!
どれひとつとしてウソをついていない。結果同じ事実を見た結果「自分からみて都合悪い・聞こえが悪いもの」で伝えられると「偏っている」といいたくなる。気持ちはわかる。
例えば「流行語大賞」ひとつとっても、私にとっては「そんな言葉流行ってるなんてきいたことねえよ」って言葉が流行語となっている。「偏ってるなあ」のひとことも言ってやりたくなるが、偏っているのは私か? 自由国民社か? それとも審査員か?
私の尊敬する友人が言った「脳が100個あれば100通りに感じる」そのとおりだ。十人十色、観測者の数だけ偏る。そもそも偏っていないものはない。あるのは「事実」と「それから受け取った人間の心の変化」しかない。
できることは「偏る」ことを謙虚に受け止めた上で
- 「立場を明確にして、発信すること」(もちろん、無記名・匿名というのは立派な「立場」である)
- 「それぞれの立場を把握して、受信すること」
しかない。
バランスをとるには「できるかぎりいろいろな立場の発信を受け取ること」しかないと考えている。よって、私がとにかく明確・正しく把握・こだわっているのは「立場」である。ここを間違えて捉えないようにしなくてはならない。
「メディアはもはや安倍政権にあやつられている!」といってるやつがいるな、と思えば「メディアはもはや中国共産党にあやつられている!」というのも相変わらずにいるし、もう最近は右も左もこんなことをいいはじめた。要約すれば「俺の意見が報道されないのはおかしい」である。とにかくテンプレである。
偏っている! といわれる新聞広告テレビウェブまとめサイト…ウソ・おおげさ・まぎらわしいが大好きでそれを金にかえたい連中とそれに群がる連中がやっているので偏るのは当然であり、そしてその連中とは我々である。メディアのレベルは我々のレベルである。他人のせいにせず、謙虚に考えないといけない。
「メディアやアイツやコイツは偏っている」と発言するのは「ものは上から下に落ちる」と発言するのと同義である。やるべきであり、できることは「立場を明確にして議論に参加する」ことである。