2017-05-03に施工70年憲法フォーラム in 石川「日本国憲法の歴史と問題点」 | 金沢市文化ホールに参加してきた。
チャンネルくらら(毎日18時更新) - YouTubeは愛聴しているし、私自身が不勉強で幕末がピンとこないのでなかなかスッキリと読了していないが、何度も読んでしまっている「帝国憲法物語」の作者である倉山先生がいらっしゃるとならばと向かった。
表紙はなんだか情緒あふれる感じになっているがぜひ目次に目を通していただきたい。以下はAmazonの上記サイトより引用。
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なぜ憲法(Constitution)が必要なのか。この単純な問に答えを持っていなければ改憲も護憲もない。ぜひ1度お読みになられて欲しい。
会の内容は 日本国憲法が70年間一度も改正できなかったホントの理由 をライブで、倉山先生節爆発でとても興味深く、印象強く聞けてよかった。
それにしたってここでも感じたのは「決まりと現場の乖離」である。今回は「自衛隊は違憲だと言っておきながら何かあったら助けろと言われる」に近しい話。
私は現憲法の哲学は「絶対達成できない理想を指示し現場が運用でカバーする」だと考えていた。そしてそれが日本人の哲学なんだと本気で考えていた。
そうじゃないと
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と自衛隊が同居できるわけがない。しかし「解釈と運用」でなんとかこの憲法を守っているということにしてきている。
車の制限速度、先生のおっしゃったこと、ゴミ捨て場の運用、なにもかも子供の頃から大人になってでも「絶対達成できない理想を現場が運用でカバー」「何かあったら絶対達成できない理想が適用されて罰せられる。何もなければ解釈の問題なので守らなくてよい」というものばかりだ。
この根が憲法にあるのではないか。護憲、法律遵守については日本人はしっかりしていると伺っている。しかし、この根は現場に立つ人間をとても軽んじていないか? 確実に「現場に立ったら違法・違憲」「現場に立たない人間こそ合憲・法律遵守」とされるであろう。医療や教育や自衛隊などなど、これがもう目に見えてきてしまっている現場は山ほどある。
日本人の不変の哲学や理想を込めて憲法典をしたためるのは私も賛成する。しかし、実際の現場に立ってらっしゃる方を「違憲だ」「違憲かもしれない」と呼ばざるを得ない状況は変えるべきではないか? 運用でカバーしろってのは無責任すぎないか? そこを問いたい。
じゃあ現場の意見を拾い上げて、改憲するならどのような頻度で行われるべきか? 毎週変えていいのか?
など問や議論は尽きないがまずはここまで。