UI Live ! in Kanazawa - UI in Kanazawa | Doorkeeper
上記に出席した。登壇者もきいている人も、若い & 女子が多く、普段私が参加したりしているものとは違う雰囲気だった。
細かい内容はちょっと脇においておいて、私なりにまとめると
- 職種・技術で垣根を作らず、超えてコミュニケーション
- クソだったらクソといえるコミュニケーション
- なんかあったら話してもらうコミュニケーション
- 話下手な連中・距離がある連中からもチャットツール(Slack)でコミュニケーション
・・・そんなにコミュニケーションが大事か!まぁ大事なのであろう。
具体的な手法などをお伺いしたが、でてくる回答は「Slack」「イイネボタン」など、形を変えた方法であった。
何事も振り返りをすると、まず間違いなくでてくるのが「もっと密に連携を…」「もっとコミュニケーションを…」である。これを言ってしまう気持ちはとてつもなくわかるが、これは「明日の日本をよりよくしたい」ぐらいの「心構え」や姿勢の話であって、んなもんうまいことやれたらいいなーなんて前提レベルの話だ。
(ちなみに、これと同じでてくるのが「私が悪くて…」である。この2つは私は「そうだね」と聞き流して終わらせる。)
そもそもUI・UXの話しにきてキャリアプランの話とかされても困る。
好意的に解釈すれば「UI・UXをよくするためには職種・技術の垣根を超えた連携を取る必要があり、それには専任の人間を用意しなくてはならない。その担当員というものになると、職種・技術関係ないことをやらねばならぬので、上司の評価が難しくなるだろう。まえもってネゴっておかないと、上司を巻き込んで難しい立場になってしまうので注意。」と言いたかったと思いたい。
DMM.comラボさんとかDeNAさんとほどの会社でも「UI・UXの話をしよう」といっているのにコミュニケーションばっかの話になってしまうのが「就職の話をしよう」といっているのに、「コミュニーケーション能力」という謎の話になってしまうのと同義であって、とても絶望的な話ではないか。
まぁ技術や企画は最高峰が集まっているからコミュニケーション能力以外は文句の付け所がない。というところにまで至っているとするのであれば
- 「どうやったら、思いが引き出せるか」
- 「みんなで作ったものをクソと言えるか」
- 「UI・UXを高めるにはこういった手法がある」
という技のところまで踏み込んで欲しかった。
なんか厳しい話になったが、前日に尊敬する先輩と半日ゆっくり話することがあり、まさにこれ関係の話をしたので特にそう感じてしまった。
なんでもコミュニケーションなのはその尊敬する先輩の言葉を借りれば「脳が違うんだから当たり前」であり、これはどのような職種・職場でも共同してコトにあたる全てがまっっったく同じである。
踏み込んできくのならば「コミュニケーションが満点ならUI・UXは満点なものができるのか?」「誰も反論できない万能の言い訳に使っていないか?」「〜なあいつが悪いという魔女狩りになってないか?」ということである。
なので、このソフトウェアを制作・製作するにおいて、どのように「コミュニケーション」を克服するか?どのようなことが多いか?というのをもっともっと踏み込んで聞きたかった。ワガママすぎかな?いや、今思い返せば充分そういう内容だった気もする…。
吠えちゃって申し訳ない。そういうことを諦めてしまった人間の遠吠えでした。